ずログ(仮)

近況報告と発声練習

学生時代の終わりに

2016年の初頭、修士論文を提出し、春からの勤務地が知らされたり、卒業旅行に行ったり、色々な節目っぽいイベントがあった。が、なぜかその色々な出来事よりも、なんかもう人生において元の場所には戻れないんだなぁという直感を私に与えたのは、Base Ball Bear湯浅将平氏の脱退だった。
 
ここで知らない人のために補足するとBase Ball Bear略してベボベは高校の同級生が寄り集まってできた男女混成4人バンドなんだけれども、詳しくはググってほしい。このバンドに何が起こったのかは以下参照。
 
私は中学高校時代(もう約10年前になるのか…)いわゆるロキノン系の音楽が好きで、彼らの音楽と出会ったのは丁度その時期だった。アルバムでいうと「C」とかの頃かな。当時ナンバガのパクリとか言われてたが、アルバム「C」はいわゆる”捨て曲”(身もふたもない言葉だと思うが)の無い名盤だと今でも思う。当時移動中は絶対にiPodがないと死ぬと思っており、通学途中の駅までの道や電車の中ではスーパーカーやらくるりやらフジファブリックやらとにかくその辺りの音楽を何かしら聴いていて、そのラインナップの中にアルバム「C」も入っていた。ので、今でも「C」を聴くと駅まで歩いていた道のりや、テスト期間に終わった後なんとなくみんなと教室でグダグダしてた感じとか、私の2006年前後を構成していた要素がよみがえってくる。
 
なんだけど、まあ話としてはよくある流れだが、アルバム「十七歳」でいきなり曲調がポップ路線になり*1、当時まさにその世代だったくせに「いや17才It's a seventeenって何だよ!」と思ったりとかして、大学受験に突入してライブに行かなくなった関係もあってラブポ辺りから離れてしまったのだった。確か。で、大学入学後は部活動のオーケストラに勉強以外の持てる時間ほぼすべてをつぎこんでいた*2ので、あんまりポピュラー音楽自体を追いかけなくなってそのまま離れていたのだった。
 
で、私はこの事件をきっかけにして戻ってきたのかというとそうではなく、2015年末頃から修士論文執筆のお供にApple music*3を利用しており、そういえば高校の頃聴いていたあのバンドたちは今どうしてるのかな~と思って色々聴いているうちに、当時ただの青春バンドという印象強かったけど最近こんな味わい深い曲書いてるのか、と再発見したのがきっかけだった。*4アルバム「C2」リリース後、単発ライブとCDJも終わりツアーを控え、動きのあまりない時期だったと思う。
 
そうして、もうすぐツアーだけどライブハウスって一人じゃ行ったことないな、まあ様子見かな~などとふわふわ考えていたところ、いきなり「重要なお知らせ」が発表されたのだった。正直、彼がこんなカントリーガール島村嬉唄ちゃん(詳しくはググってください)みたいな悲惨な結末を迎えるとは予想もしていなかった。
この件に関しては公式から発表されていることがすべてであり、彼の脱退理由の真相については何を言っても勝手な想像になるので、以下は1ファンの無根拠な完全なる妄想として読んでほしいのだが、「C2」制作時のトラブルなどの話を聞くに、プロの音楽家としてやっていくことの精神的重圧がなにかしらあったのではないかと思う。
 
ベボベは言ってしまえばフロントマンである小出祐介氏のバンドである。「音楽性の違いにより解散」というフレーズはもはや半分ネタにもなっているが、複数人が集まる一つのユニットで何かを表現してやっていく、というのは容易なことではない。思うに、そういう複数人での表現活動が軌道に乗るには、「表現活動に対する主体性と能力を持ち合わせたキーパーソン」が存在し、なおかつ「船頭が多すぎない状態」が必要だろう。前者が欠けると「どうする?」「なんでもいいよ」の地獄から逃れられないし、後者が欠けるとカオスである。高校生の文化祭バンドから始まったベボベが15年間分解せずに続けられたのは小出祐介というキーパーソンの存在だけでなく、周りを固めるバンドメンバーが彼を信頼し「才能」の役割を預け、ある種飄々としている点もあるのではないか、と思っていた。
 
研究にしても趣味にしても何かしら人と関わる活動をすると、明らかに才能・人と違うものを持っていてチームの要となる人物に出会うことがある。「なりたい自分」を思い描く過剰な自意識は自分を苦しめるだけなのだが、私はそういう人に出会うたびに、なぜ私は彼・彼女らのようにうまくできないのだろう、と勝手に卑屈になることが多かった。一昨年はちょうど就職活動で自分の長所って何なんだろうと考えることが多かったが、人に客観的に説明できるものが無く、じゃあ私の存在意義って何?という壁にぶちあたっていた。
 
湯浅氏は稀有な人間だなと、ちょうど脱退が告知される数日前考えていた。色々ネタにされているが彼はこんなのアリなのかというくらい人前で喋らない人で、でも何かぶっとんだよくわからないものを秘めており唯一無二の魅力を放っている。誰が見ても明らかに有能でリードする人物とは違うカテゴリでも、「なんだかよくわからないけど良い」としか言いようがない魅力をもった人という立ち位置がこの世にはあるのか、とヒントを得たような気がしていた。それだけに、仮に彼が自分の能力に限界を感じての結果だったとしたら、と考えるとショックだった。
 
その後わたしは春ツアーと日比谷を観に行き、過去を切り捨てるわけではなく3人体制で再スタートをきった彼らを自分の目で見て、彼らを応援していこうと思い直した。でも、仮に能力的に限界があったのだとしてもそれは決して湯浅氏がバンドからいなくなった方がいい理由になんかならなかったし、こんな独特の魅力を持った人がもう表舞台に出てこないなんて悲しすぎるとは今でも思っている。
そして例えば自分の「足りなさ」に途方に暮れても、それは自分という人間の存在意義などとは切り分けるべきものなんだ、ということを、どんなに取り乱しても忘れないでいたいな、と思うのだった。

*1:実際この時期の小出氏(Vo.&全楽曲の作詞作曲担当)のインタビューを見るとポップな方向に引き出しを広げようという試みについて述べられている

*2:毎日練習せねばという半分強迫観念のようなものに駆られていたように思う。このことについてはまた改めて書きたい

*3:このバンドの見解として音楽ストリーミングサービスに対して批判的なスタンスであることは認識している。ので、ちゃんとCDを買い直しました。でもこういうふうにふとした再発見ができるのもストリーミングサービスの良いところではあるよね

*4:ちなみに、たぶんファン以外だと炭酸水の似合う青春の風景ばっかり歌ってるバンドっていうイメージが強いと思うんですけど、実は「普通」に適合できない者に寄り添ってくれるような歌詞だったり、描写が秀逸だったり言葉選びが面白い歌詞が多くてそこに良さを感じる。良い短歌を目にしたときの感覚というか。
http://www.uta-net.com/song/164763/
http://www.uta-net.com/song/132083/
http://www.uta-net.com/song/121707/