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ずログ(仮)

近況報告と発声練習

社会に入れない人(その2)

話にまとまりがなくなるので「その2」としたが、引き続いて『弱者の居場所がない社会』から考えたことを吐露したい。

(注:若干プライベート色の強い話になるので、この記事はとりあえず2週間程度を公開期限とします)

 

人間が心身ともに健全な状態で生きるためには、人のつながり(居場所、承認)が必要という話をした。人のつながりは、困ったときの「社会サポート」を得るうえでも必要である。どうでもいい・誰でもいい存在ではなく、助けてあげたい「あなた」として、困窮したときに手を差し伸べてもらえる関係というのは、どれほどあるだろうか。概ね思いつくのは、「家族」「学校」「会社」などのグループに所属していることが前提となった”救いの手”なのではないか。自分のプライベートかつ重大なトラブルが起きた時に最も頼れるのは身内だろう*1。そのような”救いの手”が無い人は、簡単に普通の暮らしから転落してしまう。

 

東日本大震災以降、「絆」の大切さがことさらに強調されているが、この本でもやはり、災害時に備えた「地域力」の重要さを主張していた。また別の本の話になるが、『まちづくりの哲学』(なかなか読み進められない)で、宮台真司は「いざという時生き残れなくなるから」という損得勘定による絆の追及はニセモノで、絆はあくまで内発的なものであるべきだと言っていた。この指摘には私も同意する。そんなしゃあなしで取り結んだ付き合いというのは結局目的とする役にも立たないと思う。

 

働くようになって、自分から特に必死にならなくともクラスやらサークルである程度の期間他者と過ごし、なんとなく友達をつくれる学生という身分でなくなると、人と出会い、ワンオブゼムでない個としての自分との関係を築くことがこんなにも大変なのだな、と改めて気づいた。つながりのある土地を離れて、ほぼ人間関係が無いところで初めて一人で放り出されたのでなおさらであった。そうして1年ほど過ごしてきて、「人のつながり」について改めて思うところがあった。

 

私の両親は、人とのつながりをどうも避ける傾向にある人だった。父は何事にも淡泊というか多くを語らない人で、来る者はまあ拒まないが、人と交流するときのホスピタリティというか愛想が希薄な人なので、結果としてつながりが薄くなる、という感じである。母親は、意図的に人との深いかかわりを避けるタイプである。必要があって対面するような相手に対しては感じよく接するが、それ以上の交流を持とうとしない。(正直、人の本質って誰にとってもよく分からないものなので、ここに書いたことはあくまで私がこれまで一緒に暮らして受けた印象に過ぎないけどね、、)小学校までは家に時々友達を連れてくることもあったが、母親の態度の裏には、親御さんと深くかかわりたくないし正直面倒だなあ、という気持ちが読み取れることもあった。高学年あたりから次第に友達を家に呼ばなくなり、中学以降は、友達の話自体、なんとなくできなくなった。話をしても「こんな人がいてさあ」という匿名の話しぶりでないと憚られる感じがした。お母さんがよその子に対してもオープンに出迎えてくれる家の子は、うちにはない「普通」がそこにあるなあ、と思っていた。

 

しかし家族間のつながりについては、幼少期は休みになると旅行やお出かけに行って、「家族」のユニットとしてきちんと成立していたように思う。また、社会のつながりもあった。年末に、ワープロ父親が年賀状をたくさん刷っているのを隣で見てるのがなんとなく楽しかったのと、父の昔の職場仲間の家で隅田川花火大会を見せてもらって、大人たちが当時純粋な幼児だった私をちやほやしてくれた夜も覚えている。

 

思い返すと、高校あたりで今のなんともいえない、家族というより共同生活というような雰囲気が固定したように思える。就活で悩み、自分が本当にやりたい仕事(が分からず苦しんでいたのだが)をしたいという話から母親ともめたことがあり、本当にやりたいこととかではなく、仕事というのは生きていくためにするものなのだ、という話とともに、母は泣きながら家庭のことを教えてくれた。詳細は差し控えるが、その高校あたりのタイミングで、父親の仕事に不運な変化があり、一時は先の見通しが立たなくなり、今はなんとかなったものの以前より経済状況が悪くなったということであった。ポリシーだったのか、私にはその話はそれまで一切口にせず、バイトでちゃんと全部やりくりしてくれというようなことも言わなかった。この脛齧りの親不孝者、と第三者に罵られても返す言葉が無い。いま父は何の仕事をしているのか、と聞いたが、「一応会社員だけど、あなたの友達の親御さんがいるような会社とは違うところ」とだけ言われた。専業主婦を続けられなくなった母は働き始めたが、キャリアがいったん中断され、若くもない女性が就ける仕事というのは限られており、悪いことは言わないから仕事は続けなさい、と言っていた。*2

 

話は先ほどの本に戻るが、精神的な豊かさを得るためには、まず経済状況が満たされなければならない。これは単にほしいものが買えないからというだけではなくて、経済状況が満たされず見通しが立たないということは、自尊心を失い、人と関われなくなることにもつながりかねないためである。また、仕事を失うと、その人間関係も断たれる。

両親は、私が生まれる以前は好景気の時代の若者らしくテニスやらダイビングやらツーリングをたしなんでいたようだったが、今となっては全くの無趣味となり、またすでに述べたように、新たな人間関係を欲しがらない人たちなので、わずかに交流を続けている友人がいる以外は基本的に孤立しているといわざるをえない状況にある。また、私から何かサークルに入れ、などといってどうにかなる人たちでもない。私も、そのような環境で育ったことが少なからず人格に影響しており人と深いかかわりを取り結ぶことが不得手であり、兄弟もいないため、将来孤立する未来が割とリアルに想像できる。

 

思うに、この世にはつながり強者とつながり弱者がいると思う。旅行や飲みに行きたい!となったら周りに適当に声をかけて、自分が忙しかったら予約とかは人にお願いして、、とかがスムーズにできるタイプのつながり強者は、たぶん上記のエピソードは全く理解できなかったのではないかと思う。ご近所付き合いとか、いくらでもあるじゃん。と思うだろう。つながり弱者にとってはこの世界は壁だらけなのである。

 

かろうじて、私には音楽という人と共同でできる趣味を持ち合わせていたので助かった。また、SNSの発達により、意識的に連絡を取り合わないまでも、なんとなく仮想の教室にいるようなノリでゆるくこれまでの友達とつながっていられるようになったのも大きい。たぶんネットが無かったら、私はひどい有様になっていた気がする。

 

なんだかこう書くとうちの親は世捨て人のようだが、実際自然になんとなく入れる「社会的包摂」が周囲に存在したら、こんなに頑なではないのではないかと思う。しかし、人のしがらみに煩わされ、傷ついてきたのもたぶん事実なんだとは思う。絆、地域力、コミュニティがもてはやされる中で、そのつながりを得るために頑張れない人は、結局排除されるしかないんだろうか?

*1:このあたりは、内田樹『困難な結婚』にも書いてあるので、結婚と人生についてぐるぐる考えがちなお年頃の皆さんはぜひ読んでみてください

*2:他人の不幸エピソードに厳しい昨今なので一応言っておきますけれど、私に高等教育を受けさせてくれたという時点で、世間一般よりも恵まれている(っていうとなんか上から目線っぽいけど、他に語彙がないので、、)のはわかっていますよ

社会に入れない人

正直言って、私は一社会人として生きていくうえで、非常に不器用なタイプである。

社会向けにお行儀よくしようと自分の中で頑張っていると、傍から見ると何もとっかかりのない、わかりやすくいうと根暗なコミュ障になってしまうのである(まあ、普段からそういう人間なのはそうなんですけどね、、)。いつも明るくハキハキと、何気ない世間話をスムーズにこなし、周りを巻き込んで主体的に動く、初対面の人とも仲良くなる、そういう社会的に正しいことが、昔からどうしてもうまくこなせなかった。社会の場で初めて会った大人にはだいたい、「○○(本名)さんはマイペースな人だよね」という感想を貰ってきた。言うまでもない、「マイペース」は「社会不適合」を社会性フィルターに通した結果出てきた表現である。

 

愚痴はさておき、、そんな私が勇気づけられ、色々考えさせられ、久々に書きたいことがするする思い浮かんだ本があったので紹介します。

elk.bookmeter.com

従来いわれてきた貧困は単にお金の問題だけで、当面生きてはいけるだけの生活保護を与え、自分でお金を稼ぐための就労支援をすることが貧困対策だった。けど、そんな「死んではいないだけ」の生活をさせることは本当に支援といえるのか。人間が生きるうえで何よりも必要なのは心の豊かさである。そして、生きるうえでの心の豊かさを与えてくれるのは人とのつながり、言葉を変えて言えば「居場所」「承認」である。

居場所・承認はやはり、社会的にまともでないと、つまり労働をして自分でお金を稼げないと得ることは難しい。しかし、社会で働いてやっていくことにどうしても馴染めない、さまざまな生きづらさを抱えた人がいる。彼らは、「社会で生きていく価値の無い人」として切り捨てられても仕方ない人なのだろうか?

 

障害学においては、「障害」とされる心身の状況を抱えていることが障害なのではなく、そのような心身の状況にある人々が自由に活動できないような障壁を社会が内蔵していることこそが障害なのだという。そのように、「生きづらさ」がダメなのではなく、彼らも彼らの人生を良く生きることができる社会というのは、実現しないものなのだろうか。

 

著者は、ボランティア活動をしていた際に出会った路上生活者「かっちゃん」のエピソードを紹介する。彼は言ってしまえば素行が悪く、通行人にいきなり突っかかったり、その地域のNPOがやっていた、野宿者が自主的に集まって公園を掃除する活動に決まって現れては、1人寝そべって掃除中の仲間に野次をとばしたりしていた。だが、野宿者になったばかりの新参者を見て自分の小屋で寝かせたり弁当をあげたりするような面もあったためか、路上の仲間は彼がいくら協調性がなくても、なんとなく受け入れている雰囲気があったという(穿った見方をすれば捨て猫ヤンキー理論だろ、とも言えるかもしれないがそれはそれである)。つまり路上は社会から排除された彼にとって唯一の居場所だったのである。以下、引用を見た方が伝わるところが多いと思うので一部引用する。

彼が、コンビニやファーストフード店で、にこやかに「いらっしゃいませ」と言っているところは想像ができないし、スーツを着てパソコンに向かうようなこともしなかったであろう。

しかし、彼のよさや人間としての価値は、そのような物差しでしか測ることができないのであろうか。市場で求められる職業訓練を彼に求めることは、彼が彼であることを否定し、社会が考える「理想の労働者」によりマッチした、彼とは異なる人物であることを求めることである。かっちゃんは、労働市場においては自活できるだけの「評価」を得られなかったがゆえに、路上生活をしていた。でも、彼は腕のいい大工であったし、持ち前の器用さと力の強さがあった。

なぜ、彼は彼のままで社会に貢献することができないのであろう。いや、彼がたとえ、「労働者」として何の価値もなかったとしても、なぜ、彼は彼のままであってはいけないのだろう。なぜ、職業訓練をして、お行儀のよい社会人にならなくてはならないのであろう。

そんなの精神的な理想論じゃん、みんな社会でやっていくために我慢してるんだよ、社会に適合するために努力できないお前が悪いんじゃないの?というのも、確かにあまりにも正論である。私はそれに対して「ロジカルに」反論することはできない。そう言い切れるって逆にすごいな、そんなにお前は”普通”から転落しない自信があるのか、、と思う。それぐらいのメンタルの強さがあればどんなにか生きやすかったことだろう(そんな人になりたくないけど)。

 

この本の初めの方の章で、日本の貧困にまつわるデータを概説しているのだが、様々な品目を挙げて「最低限の生活」には何が必要だと思うか、という問いに対して、日本人は全般にわたり、「これが必需品である」と答えた率が低かったという。衝撃なのが、子供の必需品に対する回答である。誕生日のお祝いについて、イギリスでは93%が必需品と答えたのに対して、日本は35.8%だったという。

ちなみに日本でも、自分の子供に誕生日のお祝いをあげている割合は95%である。自分の子どもにはほぼ100%与えているものでも、日本に住むほかの子がそれを欠いていても「いたしかたない」と考えるのである。

著者の見解とは若干違うが、私はこの部分を読んで、そうか、日本人にとって心の豊かさは必需品ではなくて贅沢品なんだろうなあ、と思った。昨今言われているワークライフバランス問題とかもこの辺に端を発しているんだろうけれど。

外国人はきちんと自分が人間として生きる尊厳をきちんと権利として大事にする傾向にあるけど、日本でそれを口にすると身勝手だと思われるのはなぜなんだ?と思ったとき、鴻上尚史氏の「日本人にとっての神様は世間」という話が頭をよぎった。「村八分」の言葉に代表されるように、村落共同体社会で自分の幸せ・豊かさを求める者は排除されるべき存在だった。それに対して、特に一神教の世界では、自分の行いについては自分の内なる神に問いかければよく、自分と神との一対一の問題なので、周囲に遠慮する必要はない、ということである。*1

 

なんだか頭が発散してきたので私の言いたいことを列挙。

  • うまくやってけない側の人間でも自分の価値にちゃんと自信をもってしかるべきだし、むしろうまくやってける側の人しかうまくやってけない社会おかしくない?って伝えてくれる人がいて良かった。
  • でもそういう「社会的包摂」を実現できる術ってあるんだろうか。。
  • 日本人めんどくさい

 

*1:『孤独と不安のレッスン』に書いてあった内容。『「空気」と「世間」もちゃんと読まないとなあ

手の届かない存在に恋い焦がれる

そういうタイプに見えないのでよく驚かれるが、私はアイドルが好きだ。アイドルと対峙するファンたちの関係は絶望的なまでに非対称だ。自分のことなんて一生見ないであろう、きらびやかな世界にいるきらびやかな存在に恋い焦がれることは、ある意味、神に祈ることにも近い気がする。日頃どんなに生きる気力をもらっているかだとか、あなたがこの世にいてくれて本当に良かった、いつまでも応援しています、などそれぞれの熱意を込めたメッセージを送ることはできる。しかし、その返答が「ファン」というかたまりの一部ではない自分そのものに対して返ってくることはまずない。ライブに行けば「みんないつも応援ありがとう」と言ってくれるが、その言葉は「ファン」という総体に投げかけられたものだ。普通の感覚を持ち、自分が愛する者に愛される関係を願う人間だったらとても耐えられないかもしれないが、どうしようもなく、アイドルに生かされてしまう人間もいるのだ。
この関係って面白いなあ、これを題材になにか話が書けたりできないだろうか、なんて漠然と考えていたらまさにドンピシャの小説がすでにあって若干悔しかった。
 
 
30歳を過ぎ、6年間付き合っていたが正直あまり好きとも思えなかった彼氏と別れ、転職した直子は、転職先の年下の先輩・由佳に連れられ、生まれて初めてライブというものに行く。そこでロックバンド「ゴライアス」のボーカル・伶也に心を奪われた直子は手を尽くして伶也との接触に成功する。そして兄や知人が人生の順調なステップとして家庭を築いていくなか、直子は恋人・妻などではないよくわからない存在として伶也を支えることに人生を捧げるのである。
 
ドルヲタ的には「自分が認知されてるなら十分報われてるだろ!」と思う気持ちも無くはないのだが、まあそうしないと物語が展開しないので仕方ない。というかむしろ、めでたく認知されてしまったことが「普通」でない業の深い人生への扉になってしまっている気もする。
 
この小説は、人生における愛や幸せの成就とはいったい何事か、という答えの出ない問いを投げかけていると思う。人生における「幸せ」の成就は、多くの人にとっては結婚して子どもを持ち、家庭を築くことであろう。しかし、冷めきった主人公の家庭の姿が描かれ、他にも作中で結婚した人物が結局次々離婚しており、愛の成就の結果・幸せの象徴たる結婚は否定されている。
 
「直子おばちゃん、バイバイですよー。だいくんはこれから新しいおうちで、ばあばと一緒に住めますねえ」
 孫の大哉を抱いた母はそう言って、玄関先で直子を見送ったあと、すぐに家のなかに入ってしまった。父親は書斎に入ったきり出てこなかった。
 自分にとって家族とはなんだったのだろうか、という疑問が頭をよぎるが、寝食を与えてくれ、大学院まで出してくれた両親には感謝しかなかった。きっと自分は、母親が思い描いていたような娘ではなかったのだろう。
夫婦というのは一体なんだろうと、直子は思う。自分は結婚をしなかったし、これからもないだろう。子はかすがいというけれど、直子が両親にとってかすがいになったとはとうてい思えなかった。母の生きがいは、兄から孫の大哉に変わった。
葬儀のあと母は体調が悪いと言い、斎場には行かなかった。直子はもろくなった父の白い骨を拾いながら、急に泣けてきた。人の一生は、晩年で決まると言ったのは誰だっただろうか。父の八十一年の人生が、満足できるものだったかどうかはわからない。夫婦のことはわからない。親子のこともわからない。人の人生というのは、なんなのだろう。
 
しかしさらに地獄なのはここからである。直子は恋い焦がれる対象として、伶也に対しての欲望を持っているが、伶也と恋人関係になるわけではない。伶也に愛されることを夢想しながらも、まっすぐに自分が愛されることに対しては違和感を覚えているような、そんな資格は無いと捉えているように見受けられる。欲望は行き場を失い、屈折する。
結果的には、決して円満な最期とはいえないが、自分にとって大切な者に寄り添いながら人生を終え、死後も自分の死を悼んでくれる心の友人のような存在も複数得ている。ある意味ではこれも幸せの一形態といえるかもしれない。
 
アイドルを好きになる心理とは何か。作中でも、芸能人に対する人それぞれの向き合い方が示される。そもそも、一生出会うこともない芸能人に入れあげるなんてばかばかしいという人。憧れの芸能人と恋に落ちることを夢見たりするが、それはそれとして、自分の人生のステップを築いていく人。自分に振り向くことがない非日常的存在への狂信を突き詰めた先に何があるのかという思考実験のように読んだ1作だった。

学生時代の終わりに

2016年の初頭、修士論文を提出し、春からの勤務地が知らされたり、卒業旅行に行ったり、色々な節目っぽいイベントがあった。が、なぜかその色々な出来事よりも、なんかもう人生において元の場所には戻れないんだなぁという直感を私に与えたのは、Base Ball Bear湯浅将平氏の脱退だった。
 
ここで知らない人のために補足するとBase Ball Bear略してベボベは高校の同級生が寄り集まってできた男女混成4人バンドなんだけれども、詳しくはググってほしい。このバンドに何が起こったのかは以下参照。
 
私は中学高校時代(もう約10年前になるのか…)いわゆるロキノン系の音楽が好きで、彼らの音楽と出会ったのは丁度その時期だった。アルバムでいうと「C」とかの頃かな。当時ナンバガのパクリとか言われてたが、アルバム「C」はいわゆる”捨て曲”(身もふたもない言葉だと思うが)の無い名盤だと今でも思う。当時移動中は絶対にiPodがないと死ぬと思っており、通学途中の駅までの道や電車の中ではスーパーカーやらくるりやらフジファブリックやらとにかくその辺りの音楽を何かしら聴いていて、そのラインナップの中にアルバム「C」も入っていた。ので、今でも「C」を聴くと駅まで歩いていた道のりや、テスト期間に終わった後なんとなくみんなと教室でグダグダしてた感じとか、私の2006年前後を構成していた要素がよみがえってくる。
 
なんだけど、まあ話としてはよくある流れだが、アルバム「十七歳」でいきなり曲調がポップ路線になり*1、当時まさにその世代だったくせに「いや17才It's a seventeenって何だよ!」と思ったりとかして、大学受験に突入してライブに行かなくなった関係もあってラブポ辺りから離れてしまったのだった。確か。で、大学入学後は部活動のオーケストラに勉強以外の持てる時間ほぼすべてをつぎこんでいた*2ので、あんまりポピュラー音楽自体を追いかけなくなってそのまま離れていたのだった。
 
で、私はこの事件をきっかけにして戻ってきたのかというとそうではなく、2015年末頃から修士論文執筆のお供にApple music*3を利用しており、そういえば高校の頃聴いていたあのバンドたちは今どうしてるのかな~と思って色々聴いているうちに、当時ただの青春バンドという印象強かったけど最近こんな味わい深い曲書いてるのか、と再発見したのがきっかけだった。*4アルバム「C2」リリース後、単発ライブとCDJも終わりツアーを控え、動きのあまりない時期だったと思う。
 
そうして、もうすぐツアーだけどライブハウスって一人じゃ行ったことないな、まあ様子見かな~などとふわふわ考えていたところ、いきなり「重要なお知らせ」が発表されたのだった。正直、彼がこんなカントリーガール島村嬉唄ちゃん(詳しくはググってください)みたいな悲惨な結末を迎えるとは予想もしていなかった。
この件に関しては公式から発表されていることがすべてであり、彼の脱退理由の真相については何を言っても勝手な想像になるので、以下は1ファンの無根拠な完全なる妄想として読んでほしいのだが、「C2」制作時のトラブルなどの話を聞くに、プロの音楽家としてやっていくことの精神的重圧がなにかしらあったのではないかと思う。
 
ベボベは言ってしまえばフロントマンである小出祐介氏のバンドである。「音楽性の違いにより解散」というフレーズはもはや半分ネタにもなっているが、複数人が集まる一つのユニットで何かを表現してやっていく、というのは容易なことではない。思うに、そういう複数人での表現活動が軌道に乗るには、「表現活動に対する主体性と能力を持ち合わせたキーパーソン」が存在し、なおかつ「船頭が多すぎない状態」が必要だろう。前者が欠けると「どうする?」「なんでもいいよ」の地獄から逃れられないし、後者が欠けるとカオスである。高校生の文化祭バンドから始まったベボベが15年間分解せずに続けられたのは小出祐介というキーパーソンの存在だけでなく、周りを固めるバンドメンバーが彼を信頼し「才能」の役割を預け、ある種飄々としている点もあるのではないか、と思っていた。
 
研究にしても趣味にしても何かしら人と関わる活動をすると、明らかに才能・人と違うものを持っていてチームの要となる人物に出会うことがある。「なりたい自分」を思い描く過剰な自意識は自分を苦しめるだけなのだが、私はそういう人に出会うたびに、なぜ私は彼・彼女らのようにうまくできないのだろう、と勝手に卑屈になることが多かった。一昨年はちょうど就職活動で自分の長所って何なんだろうと考えることが多かったが、人に客観的に説明できるものが無く、じゃあ私の存在意義って何?という壁にぶちあたっていた。
 
湯浅氏は稀有な人間だなと、ちょうど脱退が告知される数日前考えていた。色々ネタにされているが彼はこんなのアリなのかというくらい人前で喋らない人で、でも何かぶっとんだよくわからないものを秘めており唯一無二の魅力を放っている。誰が見ても明らかに有能でリードする人物とは違うカテゴリでも、「なんだかよくわからないけど良い」としか言いようがない魅力をもった人という立ち位置がこの世にはあるのか、とヒントを得たような気がしていた。それだけに、仮に彼が自分の能力に限界を感じての結果だったとしたら、と考えるとショックだった。
 
その後わたしは春ツアーと日比谷を観に行き、過去を切り捨てるわけではなく3人体制で再スタートをきった彼らを自分の目で見て、彼らを応援していこうと思い直した。でも、仮に能力的に限界があったのだとしてもそれは決して湯浅氏がバンドからいなくなった方がいい理由になんかならなかったし、こんな独特の魅力を持った人がもう表舞台に出てこないなんて悲しすぎるとは今でも思っている。
そして例えば自分の「足りなさ」に途方に暮れても、それは自分という人間の存在意義などとは切り分けるべきものなんだ、ということを、どんなに取り乱しても忘れないでいたいな、と思うのだった。

*1:実際この時期の小出氏(Vo.&全楽曲の作詞作曲担当)のインタビューを見るとポップな方向に引き出しを広げようという試みについて述べられている

*2:毎日練習せねばという半分強迫観念のようなものに駆られていたように思う。このことについてはまた改めて書きたい

*3:このバンドの見解として音楽ストリーミングサービスに対して批判的なスタンスであることは認識している。ので、ちゃんとCDを買い直しました。でもこういうふうにふとした再発見ができるのもストリーミングサービスの良いところではあるよね

*4:ちなみに、たぶんファン以外だと炭酸水の似合う青春の風景ばっかり歌ってるバンドっていうイメージが強いと思うんですけど、実は「普通」に適合できない者に寄り添ってくれるような歌詞だったり、描写が秀逸だったり言葉選びが面白い歌詞が多くてそこに良さを感じる。良い短歌を目にしたときの感覚というか。
http://www.uta-net.com/song/164763/
http://www.uta-net.com/song/132083/
http://www.uta-net.com/song/121707/

文体に困る

ひととおり書いてみて、まとまった文章を書こうとすると文体が硬直することに気付いた

うーん

 

ちなみに毎回こんな自意識まみれの文章にするわけでなく読んだ本とかの紹介やら土木・景観関連で考えたことなどを書く場にしていこうと一応考えてます

果たして続くのか

とりあえず近況

昨年は、大きいのか小さいのかよくわからないが変化の年だった。

 

人生のほとんどの部分を過ごした土地から離れ暮らすことになり、自分のバックグラウンドを知らない他者ばかりの環境で暮らしていると、ふと自分ってどんな人間だったっけ、と思うことがある。

 

私は社会的にまともな人間として失礼のないようにふるまおうと思うと、平板な人間でなきゃと思うせいか、めちゃめちゃ暗い人間になる。(普段も別に明るくはないけど)

こっちが当り障りのない対応をしていても面白くしてくれる人間なんてのは基本的におらず、周りも当り障りのない「他人」としての対応になる。

考えてみれば学生時代の私のキャラ形成は割とツイッターに助けられていた部分がある。自分で言うのも非常に痛いし恥ずかしい話だが自分の内面に抱えたものを発信することが一定の興味をひいていたところがあるのではないか。

新しい生活を始めてから、友人ってどうやって作るんだろうと思うことが多くなった。(いい歳に差し掛かりつつあるのに)元々やってきたという手っ取り早さからまずは市民オケを探したが、募集条件が合ってるところを探すとなんか年齢層が高いし、その他管弦楽に限らず色々興味を持ったものに首を突っ込んでみたが、なんというかうまくいきそうな直感が得られなかった。(時間をかけてみないとわからないんだろうけど)

 

正直、新しい場所にやってくる前は、自分を規定している人間関係からいったんフリーになったらどんなに楽だろうか、と思っていたところもあった。私は一人でいても平気だと思っていたが、意外とそうではなかったようである。社会に必要とされている、とまでは言わないものの、誰かが私のことを交換可能な他人ではない存在として頭の片隅で覚えておいてくれている状態がないと、会社で残業している間のふとした瞬間に、休日にすることを決めあぐねているふとした瞬間に、心を覆う薄い膜にひびが入りそうなことがあったりする。

 

ここまで鬱々とした自分語りの愚痴を書き連ねてしまったが、私が言いたいのは、もう大人になってしまった以上こちらが何も差し出さなくても無条件で興味を持ってくれる人などいないということである。今年は、差し出せる何かを自分の中で作ることを目標に1年過ごしてみる。